「雲情」(うんじよう)と、解読した。
諸橋徹次・大漢和辞典巻12には、 「雲情」 情愛を解する心情をいう。
「雲情雨意」(うんじよううい) 男女の歓会をいう。
「雲雨」(うんう) 神女の美称転じて、男女の交情、雲雨の夢。勢力がさかんなこと。
面白い思い出がある。飯田市伝馬町に後藤光正、錦町に鋤柄博という平成きつての産婦人科の名医がいた。飯田の夜は無尽の講が盛んである、幾多開催されている中での双璧が「うまいもの会」であったが、運良く?会員であった。月日は忘れたが、三人が同席したので酒の勢いもあって聞いた。
「先生、雲情という言葉をご存知ですか?」
「イヤー、始めて聞くが?」
「なんだか調べていくと、どうも頓死(とんし)に当たるんですがね。」
「そうか、頓死か! 君ね? 頓死って知っているか? 普通は男女の性交中に、
男が死んでしまうんだけれども、あれは女の上で死ぬんじゃあないよ!」
ふたりは、合図地を打ちながら、そうだそうだと言いたげに私を見た。
「それは一体どういうことですか?」
何を言わんとするのか?さっぱり虚ろな状態でいると、間髪を容れず
「君ね?あれは、女が上で男が下で亡くなることなんだよ!!! しっかりと覚えておかないとダメだよ。」
「はい〜 よく解りました。ワハハハハハ。」
後日、ここまでの話からすれば、天守、天守閣、欲望、究極の欲望、男と女、頓死 そして心がすべてを創り上げてゆくとまでの、堂々巡りが始まった。
◎ 東京阿佐ヶ谷在住で駒澤大学名誉教授坂本武は、飯田市追手町の生まれで故郷をこよなく愛し、飯田高校の設立記念式典には文化会館で後輩に叱咤激励の話をした。
公演後の懇親会に先生は何を思ったのか?何故か?
「今回を記念して、一つ書き残して欲しい。会うといつも言っている、あの「唯心造」(ゆいしんぞう)をお願いしたい。」
断ることもできずに書き送った。上京して先生の居間に横額にしてかかっていたのを見て、日汗がでたが今更恥を残した!と、諦め一夜の宿を甘えたのだが、この時に、「天守心帰一」(てんしゅしんきいつ)が口から飛び出した。この世の欲望の具現化である究極の欲望の天守は、心である最初の原点の一からであり、またそこに帰るのである。
忘れてはいけないとメモを取っておいた。
◎ 「聴曉雨」(ちょうぎょうう)は、「もうこれしか押すものはないだろう」と、江戸城天守閣圖版木摺の仕上げに父より渡された。この説明については皆さんにお任せする。
なんたる迷路に迷い込んでしまったのだろうと思いながらも、ここまで辿り着けた事は、心地よかった。
○ 不可思議な話を思い出した。
「雲情」のハンコである。多分明治後期か大正初期に櫻井泰堂がどのような経路で作ったかは不明だが、陶器で出来ているなかなか見当たらない形である。そばに置いたり、印泥をつけて押したりして見るのだが、何故か不思議さを感じていたが誰にも話す事はなかった。そんな時に、文応の兄貴的存在である「味の万世・けんこう村」の創設者で
あり、今は当たり前になっている「手を汚さずに食べれるおにぎり」の特許取得者の、飯田市桜町を最終の居とした笹原正人氏から連絡が入り早速お邪魔した。出向くと九州からの先客があった。二人は「水」について何やら難しい話をしていた。話は進み笹原正人氏が本を取り出して、山の写真のページを開いて、
「この山が火星で一番高い山でオリンポスと言うんだけれども、誰も信じていないが、この山には雲がかかり地下には水があるんだが、この水は一体どういう水なのか?知りたいものだな?。」
と、訳の解らない会話の連続の中にいたが、アッ!!!
「会長。これ本当の写真なんですか?」
「当たり前だ。アメリカのNASAで撮った写真が載っているのよ。」
そっくりだ!全くそっくりなので、何をしゃべっていいか解らなくなって、兎も角、本を借りて照らし合わすこととした。
あまりにも似ているので、翌日ハンコ持参で笹原正人宅へ飛び込んだ。
「本当だ!よく似ているな。」
ハンコのある程度の話をして帰り道、こりゃあ一体どういうことなんだ? 解ったような解らないような? 変な気分でポケットのハンコをぎゅっと握りしめた。
4. 掛軸・和額の作成
飯田地方の表装は昔から水準が高いと聞いていた。 それは、一人前の職人になるまでは京都で修行することが当たり前とされていた事と、昔からこの地方が小京都と呼ばれるにふさわしい文化的な町でもあることが職人気質を育てあげているのであろう。
表装関係で懇意な人はいなかった。偶々最近、父親が亡くなったので京都から帰ってあとを継いでいる若い人がいると聞いたので訪ねた。吾妻町の木村龍泉堂であった。物静かだが真の強そうな青年で、誠心誠意の仕事をしてくれた。
時は流れ毎月定例で開催される骨董無尽の馬場町(ばばんちょう)和太仙26会に、下伊那郡喬木村阿島・湯澤雲揚堂の湯澤力氏が会員でおり親しくしていたところで突然平成12年他界した。後継長男厚君が意思を継ぐため修業先の京都から戻り活動を始めていた。
早速、入会してもらい現在では会計を担当して頂いていることと、NPOーSGJの理事としても、その手腕を発揮して江戸城天守閣版木圖作成の重役をになって頂いている。
今後の作品の制作には地域の表具師の皆さんが一丸となってその腕を発揮してもらえることを心から望む次第で、出来上がった軸装・額装は、中央の京都に劣らない出来栄えであることを確信しています。
出来上がった! 何はともあれ満足であった。
「 おー、出来たな。」
あの時のかすかな父の笑みを忘れることができない。
出来上がってみると、「秘するは花なり」が逆転して、これでもかこれでもかと、内から外に向かって心が騒ぎ出したのを止めるのは困難であった。
「江戸城天守閣圖版木摺」軸装・額装の納入先
1. 伊藤鄭爾 工学院大学学長。
2. 浄土宗大本山 徳川家菩提寺 東京芝 増上寺。
3. 長野県長野市 寛慶寺。
4. 京都市 織田信長御廟所 阿弥陀寺。
5. 長野県飯田市 飯田観音 来迎寺。
6. 以下、個人所蔵
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